u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

a little prayer

たまたま入ったコンビニで”I say a little prayer”がかかっていたので、帰りの車中はAretha Franklinに。Dionne Warwickの方がリリースが早かったのだとか。そちらのバージョンも結構いい。しかしぶっ飛んでいるのはRoland Kirk。こうなると原曲はあまり関係ないようなきもするが。

この曲、変拍子がポップさを邪魔しせず、むしろそのエッセンスを引き立てているのがいい。

 

曜日違い

帰りの車中、火曜だけど先日からのブルーズモードでStormy Monday を聴いて、ついでにManic Mondayを聴く。Tuesdayの曲はあるかな、、、としばらく考えて思いついたのはTuesday Heartbreak。ひっさしぶりに聴いた。Stevie Wonderモードになりかけたけど目的地に着いたので今日はここまで。

生年の限界

「ブルーズの母」という呼称がどのくらい実態に合っていたのかはわからないが、マ・レイニーの生年1882年について思いを巡らす。

ジェームズ・ジョイスと同い年。ピカソ1881年、1883年生まれはたくさんいる。ケインズカフカ志賀直哉シュンペーター

こうやって並べると、マ・レイニーだけピンとこない。

同い年なんだ!とか、同時代人なんだ!という驚きや納得感がまったくない。

たぶん共有する文化の違いのせいだろう。アメリカ南部のブルーズの土壌は、ヨーロッパや日本の同時代は異空間だから同じ時間軸では語れないんだろう。

最も洗練されたジャズミュージシャンの一人デューク・エリントンが1899年生まれで、ロバートジョンソンは1911年生まれ。

ちなみに、1899年は川端康成、1911年は岡本太郎の生年。

生没年ごっこは楽しいが、ここにきて時間軸とは別の基準がないとイメージが持てないかもしれないという課題に直面しているのかも。

日の出時刻

2月最後の日。とにかくバタバタのうちに過ぎ去った。1か月を振り返って思い浮かぶことというと、朝が明るくなったということくらい。
日の出時刻は、毎日同じ割合で早くなったり遅くなったりと変化するわけじゃない。
1月の横浜の日の出時刻は、1/1 6:50 → 1/31 6:42 とその差8分。
一方、2月は、2/1 6:41 → 2/28 6:13 とその差は28分。
「朝が明るくなった」という感覚はまったく正しかったようだ。
ちなみに3月は、3/1 6:11 → 3/31 5:30 とその差は41分。
明日から3月、朝はまだまだ加速度的に早くなる。

そのためだけに、、、

マ・レイニーの映画が配信されているらしい。
見たい、でも、Netflixでしか見られないという。
ベッシー・スミスよりもさらに上の世代ということで、ちゃんと聴いたことはない。
ちょっと調べてみたら、ベッシースミスは1894年生まれで、マ・レイニーは1882年。ひと回り(という感覚は米国にはないだろうが)上の世代。
ベッシー・スミスに歌を教えたなんて話もあるそうだが、それは話ができすぎだろう。
ジャズで言うならデューク・エリントン(1899-1974)よりも17歳、ルイ・アームストロング(1901-1971)よりも19歳上。
ブルーズでいうと、と思いつく限りランダムに調べても、1880年代生まれのブルーズミュージシャンが出てこない。
やっと見つけたのはレッドベリー(1888-1949)。レッドベリーもあまりちゃんと聴いていないがブルーズというよりカントリーソングに近いフォーク然とした印象を抱いた覚えがある。
ベッシー・スミスではなくマ・レイニーまでさかのぼって描こうとした作品、どんな風に音楽やミュージシャンを見せるんだろうと興味をかき立てられる。
と言って、このためだけにNetflixに加入するのか?月額に見合うほど映画見る自信もないし、、、

免許更新

期日ぎりぎりで運転免許証の更新。

今回は減点がなかったので優良ドライバーとして市内の警察署で短時間講習。

映像を見るだけかと思ったら、最初の15分ほどリアル講義だった。

あおり運転の厳罰化など、最近の法律改正ポイントを講師の方が説明する。

講師は再任用の方なのかなというくらいの年齢の男性。

滑舌がよく、大きくはない部屋にはもったいないほど通る声だが、なぜか終始講談口調。

「令和〇年〇月〇日、罰則規定が云々かんぬん」というのを、軍記物の名場面であるかのようによどみなく語る。

大したもんだなと思う一方で、完全に自分だけの世界に入り込んでしまっていて話している内容は全然あたまに入ってこない。

どんだけ語りがうまくても、内容とスタイルが合っていないといけないし、また伝える気がなければ伝わらないのだろう。

整理の良し悪し

情報であれ何であれ共有がベースになっている昨今。

どのように共有されるのがいいのかと考えた時に、「整理されている」のと「整理されていない」のとでは、あたりまえのように「整理されている」のが良いとされる。ほんとにそうか?

実際には「整理されている_Aタイプ」>「整理されていない」>「整理されている_Bタイプ」で、「整理されている」のAタイプとBタイプが区別されていないんじゃないか、なんてことをふと思った。

A、Bとは何か。Aは、枠組みや仕組みの整理、Bは、中身の整理。

たくさんの人と何かを共有する場合、「混乱しないように」と整理したくなる気持ちはわかるが、共有範囲が広ければ広いほど混沌としていて当然、むしろそうでなくてはならないんじゃないか。中身を整理してしまうと、共有されるのは整理した人間の頭の中であって中身ではなくなってしまう。

「たしかにわかりやすいけど、あなたの頭の中を見せられているみたいでなんかイヤだな」と思うことがたまにある。

理解、消化の方法や仕組みではなく、理解、消化された結果を突き付けられることへの抵抗感なんだろう。