u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

斜塔錯視

斜塔錯視というのがあるらしい。
下から見上げるようなアングルの塔の写真を2枚並べると、左右はまったく同じ写真なのに、右の方がより傾いて見えるという錯覚のことを言うらしい。
自分で試してみようと、ベイサイドマリーナに行った時の写真を使って作ってみた。
たしかに!右の方が傾いて見える。(①)
錯覚が起こる原理は、視覚的には全体で1枚の写真として見ようとする。
その場合に消失点がひとつに集約されていることを感覚的に期待して見てしまう。
ところが、実際には左右それぞれに消失点があるため視覚が混乱する、ということらしい。(②)
では、消失点をひとつにまとめてやれば錯覚はなくなる、つまり左右の塔が平行に並んでいるように見えるのか?
試してみた。
左右の塔のちょうど真ん中に消失点があると仮定して塔を傾けてみる。(③)
お、たしかに!へんな写真だけど一応左右は平行にそびえているように見える。(④)

と、こんな感じで日曜日が終了。

f:id:u1row1223:20170820231322p:plainf:id:u1row1223:20170820231427p:plain

f:id:u1row1223:20170820231447p:plainf:id:u1row1223:20170820231502p:plain

 

アイス断ち

暑い一日。夏の日差しが戻ってきた。
この夏はアイス断ちにチャレンジしている。
記憶にある限り人生ではじめてお盆を過ぎるまでアイスをひと口も食べていない。
本来、これは自分史の中ではありえないくらいにスゴイことだ。
それなのに、8月に入ってから雨ばかりで夏らしい天候ではなかったので、自分のガマンがすごいのか40年ぶりという天候不順がすごいのか分からないままここまできてしまった。
これからの残暑、ガマンのしどころと思いながら、
とりあえずキンキンに冷やしたアイスコーヒーを飲んだ。
自分ルールでは、アイスはダメだけど、飲み物に入れる氷はオッケーということにしている。
また、飲み終わったあとの氷をガリガリ噛んで食べるのもセーフ。

アイスを断っていることにならない気がしないでもないけれど、
“パンツのゴムと決めごとは、ちょっとユルめがちょうどいい”

釣り銭考

先日コンビニで、
「お会計は637円です」
と言われて、1142円出した。
たぶん時間にすればほんの1秒足らずだったと思うが、男性店員はトレーのお金を取らずにフリーズした。わずかに顔をしかめたようにも見えた。

「よろしいですか?」
と聞かれて、この反応の意味がわかった。こちらは釣り銭が細かくなるのがイヤで、お釣りが505円になるように出したのだが、その意図が伝わらなかったらしい。
しかも「よろしいですか?」という聞き方が、少し迷惑そうな、あるいは、こちらをバカにしたような口調だったのでムカついた。
こちらが軽く頷くと、レジを打ち何事もなかったように、500円玉と5円玉を返された。
お釣りが505円と分かった時に、こちらの意図も同時にわかったはず。
「失礼しました」とまでは言わないまでも、「あ、なるほど」と感づいたような表情すら見せないから可愛げがない。
いつだったか忘れたが、少し前にスーパーのレジでも似たようなことがあった(レジの女性はもっと愛想が良かったが)。

いま読んでる本に、欧米と日本で釣り銭の計算の仕方が違うというお決まりの話が出てきたので思い出した。日本人は引き算で釣り銭の計算をするという話で、日本人の計算力の高さの一例として挙げられることが多い。
でも実生活で引き算を求められる場面はそんなに多くはないし、真っ先に思い浮かぶお釣りの受け渡しの場面ですら、こちらの工夫の意図が店員には伝わらないのだから、「日本人は〜」なんて誇らしげに語ることはできないんじゃないか。

 

浅草〜浜離宮

神戸の両親が東京に立ち寄るというので、家族3人で会いに出かけた。
昼食を一緒にということで、ホテルのある浅草で合流。
雷門の大提灯を初めて見た。
実は20年前ほどに、一度妻と来たことがあったが、
その時は「提灯改修中」とかで、提灯がなかった。
今日行ってみると、提灯はあったが、屋根を改修中とかで提灯の周りの門はプリント仕立てだった。
いまだに完全な姿を見ずじまい。

近くで昼食をとった後、
歩き回るのはきついと聞いていたので、隅田川の水上バスを試してみた。
浅草から浜離宮まで。
たしかに船に乗っている間はよかったが、浜離宮から新橋の駅までそこそこ歩くことに。
雨が降らなかっただけまだマシだったかな。

f:id:u1row1223:20170817121431j:plain

f:id:u1row1223:20170817142143j:plain

f:id:u1row1223:20170817145404j:plain

 

ちなみ好き

ひと月ほどさかのぼって梅雨に戻ったかのような天気が続く。
「ちなみ好き」としては、この天気に「ちなん」で、"I cannot stand the rain"を聴く。
「ちなみ」にHumble Pie バージョン。
Humble Pie の Pie に「ちなん」で、Mingusの"Goodbye Pork Pie Hat" を聴く。
このPork Pie Hatは、Lester Youngを指すらしい。Lester Young がポークパイハットを好んでかぶっていたことに「ちなむ」らしい。
Lester Young のあだ名Presidentに「ちなん」で、"Funky President "を聴く。
「ちなみ」にJames Brownのこの曲、リリースは1974年。自分が生まれた年だ。
自分のルーツに行き着いたところで「ちなみ」止め。

『統合失調症がやってきた/ハウス加賀谷』読了

ボキャブラ天国に出ていたのは90年代末、そんなに前だったのか。たいして熱心に見ていたわけじゃないが、松本ハウスは印象に残っている。病気療養のため休業というニュースもよく覚えている。
テレビの世界だけを見ていると、そこに出なくなったタレントは、消えていなくなったも同然なのだが、一個人としてのドラマはテレビと関係なく続く。
統合失調症というと、自身の世界の一貫性を保てなくなり支離滅裂な世界に放り込まれるのを想像するが、著者が掘りおこす小中学生時代のエピソードや病気療養期間のエピソードからは、理解できないものに翻弄されながらも懸命に一貫した自己を保とうとする姿が伝わってきて感動した。
「こんな風にしか表現できない自分」を知る人間は、「あんな風にもそんな風にも表現できる自分」に酔っている人間よりも、表現者という観点では格段に上だろう。
ま、だからと言って芸人としてファンになるかどうかは別だが。
「社会の偏見は根深く、なかなかなくならない。だけど、ぼくは、偏見がなくなることを期待するより、自分がどう生きるかが大事だと考えてるんだ」
というあとがきの一節にまたまた感動した。読んでよかった。

駅まで歩いて

世間はお盆。電車空いてたらいいなと思いながら家を出る。バスは「空いてるかどうか」以前に「ない」。今日と明日は休日ダイヤなんだとか。いつもの始発バスはなく、休日の始発は25分ほど遅い。

駅までとぼとぼ歩く。
電車やバスに乗っている時もあれこれ考えるが、歩いている時の思考というのは、また種類が違っているような気がする。電車やバスでは映像と書き言葉で、歩いている時は話し言葉で考えていると言えるかもしれない。
「ほんで、、、いや、そないゆーても、、、ま、しゃーないか、、、」
歩調に合わせて一人つぶやく。
島田紳助が言っていた
「漫才コンビは、まず自分らのテンポを見つけるために歩きながらしゃべる練習をせなあかん」
というのは確かにその通りやなと思う。

さて電車は、期待通りガラガラとまではいかなかったが一応座れた。明日も同じ調子でいけるかな。ただ天気が悪そうなのが気懸り。