u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

『いのちの車窓から/星野源』読了

昨日に続いて星野源のエッセイを読んだのは、気に入ったからというのもあるが、図書館の返却期限を過ぎてしまっているというより切実な理由による。

とはいえ、エッセイとしてのクオリティが作品ごとにめちゃめちゃ上がっていてとても面白かった。

音楽業、俳優業、文筆業が有機的に関連づいて、人物としての魅力が立体的になっている、、、なんて上からなもの言いはおこがましいが、とにかく読んでいて楽しいし、感心するところがたくさんあった。

この人の人生には本人も知らないシナリオのようなものがあるのかもしれない。もしくは、目に見えないプロデューサーがいるのかも。ひょっとしたら、誰にでも目に見えないプロデューサーがいて、ある種のシナリオがあるのだが、自分自身に正直ではいられないという弱さ、もしくはやむを得ない現実的な理由のために、シナリオがゆがみ、プロデューサーがかすんでしまっているだけなのかもしれない。

好きなヒト・モノ・コトに正直であろうとする筆者の姿勢が、見えないプロデューサーのコーディネート魂に火をつけているのかな、などと思った。

『蘇える変態/星野源』読了

2012年にクモ膜下出血で倒れ2度の手術を経験したそうで、後半はその発症、手術、リハビリの闘病日記。読んでいるだけで苦痛が伝わってきてなかなかヘヴィだったが、文章自体は一貫して軽やかなので、勝手に目が文章を追っかけてしまう。

これは音楽についての文章にも共通するところがあるかもしれない。創作にかける底なしの探究心は、擬態語で言うなら「グツグツ」「ドロドロ」といった感じだが、軽妙な文章のせいでほどよく中和されている。

演技にせよ、音楽にせよ「人に伝える・伝わる」ということを大切にしているからこその「ほどよさ」なんだろう。

車中鑑賞

久しぶりに娘も一緒に3人で日用品の買い物に出かけた。
行き帰りの車中、こういう時は娘のスマホに入っている音楽を聴くことが多い。
バックナンバーとか、菅田将暉とか、AAAとか、星野源とか、この時間がなければ絶対に自分から進んで聴くことはない音楽を耳にする。
今日は米津玄師。
Lemonとあと2曲、計3曲をエンドレス再生で何度か聴いた。
基本的にはどんなアーティストでも「さすが人気があるのもわかるな」というところがあって、次の日になっても頭の中でリピートされたりすることも多いのだが、今日のは少し違っていて若干疲れた。
決して悪いとか嫌いとは思わないが、ひとクセあるというのか、なんか身構えて聞いてしまう。
何度目かの再生で、「疲れ」の主要因がわかった。
ずっと歌っている、つまりずっと声が聴こえるのだ。
はじめとても難しい曲に聞こえたのは、曲が難しいんじゃなくて歌が難しいんだ。
楽器に委ねてもよさそうなところも、すべて歌でカバーしている。だからどこか浪曲の語りを聞いているような感じがして、たぶんそれが疲れの原因だろう。
これが流行っているというのは、このある種過剰な感じを世の中が受け止めているということで、それはそれでおもしろいなと思う。

午前ひと笑い、午後もひと笑い

午前、インフルエンザの予防接種を受けに近所の検診センターへ。
健康診断のお客さんが多くて受付は忙しそう。受付の男性は低く落ち着いた声の人だったが、説明には慣れていない様子。
前の人に検診の説明するのに「お着替えはありませんが、スリッパに履き替えて・・・」というところを、
なぜか「お弁当はありませんが、、、」と言ってから「あ、失礼しました。お着替えはありませんが、、、」と訂正していた。
「お着替え」と「お弁当」ってどういう間違え?と思って笑ってしまった。

午後は散歩。
先日行った円覚寺に続いて、すぐ目の前の東慶寺はどうかと車で鎌倉を目指したが、若宮大路が混んでいたので由比ヶ浜散歩に切り替えた。
車を運転中に、道に何かが落ちているのを見て「車にひかれたタイワンリスかと思ったら、柄のついたタワシだった」と妻。
たしかに柄のついたタワシが車道に横たわっている。これを道に落とすってどういう状況?と思って大笑いした。
午前ひと笑い、午後もひと笑い、楽しい1日だった。

『現代思想のキイ・ワード/今村仁司』読了

さくさく読めるようなものではなく、2日で1項目くらいのペースでようやく読了。前半はほぼ記憶にないが、フレーズとしてThe Sound and the Fury(響きと怒り)というのが頭に残った。シェークスピアの『マクベス』に出てくる言葉だそうだ。

後半は、まだ最近の記憶なのでいくつか印象に残った項目があった。

先日書いた「公正(equity)」と「公平(fairness)」の違いもその一つ。

ほかに「資本主義」という用語の使われ方の変遷も興味深かった。もともと「資本主義」は、現実社会を批判的に捉えて表現されたマルクスの用語で、この用語が使われるときは、常に「社会主義」に対置するものとして意識されていた。

ところが、マルクス主義的「社会主義」思想が衰退するにしたがって、「資本主義」は、口当たりのいい中性的言葉となり、マルクス主義の用語から通俗用語となったのだそうだ。

あとは「倫理」と「道徳」の違い、「戦争は別の手段による政治の継続である(クラウゼヴィッツ)」などが印象に残った。

餅スープ

11月も半分過ぎて、朝が寒くなってきた。 さすがに朝食に冷たいグラノーラはきつくなり、最近はもっぱら餅スープ。 粉末のコーンスープにお餅をひとつ。 3分でできて2分で食べられる。 おいしいし腹持ちもいいから申し分ないが、ひとつだけ気になるのは栄養。 「グラノーラに牛乳」と比べると「餅にスープ」では、栄養価はずいぶん劣る(ような気がする)。 かといってグラノーラに温かい牛乳はイヤだし。しばらく餅スープはやめられそうにない。 

『そして生活はつづく/星野源』読了

2009年ごろの雑誌連載をまとめたもので楽しくササっと読んだ。筆者が「この本があなたの家のトイレに常駐することを願って」と書いているのは謙遜なのか、下ネタの多い内容に絡めているのか、たぶん両方なんだろう。

さすがに自分はトイレではなく、もっぱら行き帰りの電車で読んだが、電車内という公共スペースにいながら、読んでいるうちにプライベートな時間と空間にスーッと誘い込まれるような居心地の良さを感じた。筆者オススメの「トイレの友」感が文章からもあふれていたのかもしれない。たまに出てくる音楽ネタ、特にリスナーとしての感覚に親近感を覚えた。