u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

『日本近代科学史/村上陽一郎』読了

1968年に初版、1977年版で補章が書き加えられたものの文庫版とのこと。
科学と技術のうち、技術をとりこむことばかりに熱心で、学問としての科学や科学を生み出す背景となった西欧文化には関心を示さなかった日本人。これを種子島に伝わった鉄砲にまで遡って、現在に至るまで一貫して「借りものの自然との付き合い方(科学)や、それを通じての自然を統御する方法(技術)やらを、平然と受入れてきた」さまをたどる。
著者自身があとがきで、今の自分ならこんな風にはまとめないといったことを書いているが、科学技術の受容の仕方を通じて見る日本人論というのは昭和臭さを感じる。でもこんな風に日本人論として歴史をまとめてくれると自分のような素人読者には読みやすい。

健康診断

年に一度の健康診断。タイミングを逸しているうちに今日になってしまった。といっても毎年結局この時期になり、結果的にきれいに1年刻みで受診しているのだが。

健康診断で一番苦手なのは超音波診断。以前はなかったと思うので、40歳以上のメニューなのかな。

検査台の上に仰向けになると、腹部にローションを塗られ検査器具を押しあてられる。「痛かったら言ってください」と言われるが、痛いのではなく器具をあてられると反射的に腹をかばおうとする。痛いわけではないから「痛いです」とは言えず、かわりに咳き込んでしまった。すると検査士さんが「痛かったですか?すいません、もうちょっと我慢してくださいねぇ」と言う。痛かったとしても「我慢してください」なんだ、、、またグーっと押しつけられた時に、もう一度咳き込んだら「もう少しですよ~」と言ってくれたが、そこからさらにすごく長かった。たぶん受け身が下手なんで余計に時間がかかるんだろう。

健康診断の最難関はバリウム検査と言われがちだが、個人的にはバリウムなんかよりこっちの方がずっと苦手だ。

読まないわけ

学校に行かない日が続く高1の娘。もともと春休みの期間ではあるが、こんなことがなければ部活には行っていただろうから、やはり特殊な状況下にあることはまちがいない。
「せっかく」という言葉は少しためらうが、あえて「せっかく」のこの状況だから読書でもすればいいと思い、妻も自分も何冊かオススメしてみたがまったく読む気配はない。
2〜3日前に改めて勧めたところ本人が「読まないわけ」を語り出した。
それを聞き終えて、すっかり勧める気がなくなった。諦めた、、、というよりは、なるほどと妙に納得したからだ。
納得のワケは娘の説明に説得力があったからじゃない。「自分とおんなじだ」と思って、なんというのか、ある種の感動に似た不思議な感覚を味わった。
そうだ自分も高校時代ほとんど本を読まなかった。そのわけをぼんやりとしか覚えていなかったが、娘が話すのを聞いて「あ、それ!自分が思っていたことと同じだ」と。

だからといって「わかるわかる」とか「お父さんも高校の頃、、、」みたいな話はしない。
物わかりの良さをアピールするかのようなセリフは口にしたくない。
また、自分がしなかったこと・できなかったことについての後悔を語って、自分の子どもにさせようとするのも自分の中ではナシだ。
なんてことを考えいてると、自分で自分が面倒くさい人間だなと思う。

distancing

Social distancingの意義を広く認知させるために、企業ロゴをアレンジするキャンペーンがあるそうだが、「いかにつなぐか」ということしか考えてこなかった資本主義社会にとって、離れること、離すことへの取り組みはとてつもない難題のような気がする。
ふと思い出したのは、人間の歴史は基本的には飢餓との闘いだったから、食料がないことへの防御機能は複数あるが過食へのリミッターはほとんどないという話。

日本でも「絆」だとかなんだとか、つながることへの絶対的な信は補強に補強を重ね、それを否定するような言説は叩かれたり無視されたりすることはあっても賞賛されることはない。
いまの社会に過度に「つながること」へのリミッターはあるのかな。べったりくっつくことよりも適切に離れることをよしとする社会への扉が開きかけていると期待していいのかな。

成長と別人

昨日は結婚記念日だった。ちゃんと覚えていてワインを買って帰った。某ターミナル駅構内の酒屋で、目の前には花屋さんがあったが、さすがに花束はハードルが高い。

どれがいいのかなんて選べないし、店の人に尋ねるのもきつい。逆に「どなたにですか?」なんて尋ねられても答えられる気がしない。

できなかったことができるようになるのは成長だが、買えなった花束が買えるようになるとすれば、それは同一人物の成長ではなく別人だろう。

指数関数的

東京は臨界点に達しているようだ。つい最近、exponentially「指数関数的に」という言葉について書いたなと思ってさかのぼってみると去年の12/17。

「exponentially(=指数関数的に)という言葉が頭をよぎる。単語自体は理数的な言葉だが、意外と情緒を表現するのに適した言葉なのかもしれない」と書いていた。 

わずか3か月後の現在、この単語が文字どおりの意味で世界の今を表している。一方で、単なる数値的な意味以外に情緒的な意味を含んでいることにも変わりがないように思う。実態と情緒の両方がexponentially(指数関数的)に変動するとき、「今・ここ」の意味が相対的に薄れるんじゃないかな。「家にいましょう」というのは、「今・ここ」を失ってしまうかもしれないという無意識の危機感から発せられる呼びかけだったりして。

静音タイプに

トイレのジェットドライヤーというのか、温風で手を乾かす機械があちこちで使用禁止になっているようだ。これを製造しているところには申し訳ないが、以前からこれが嫌いだったので正直なところ歓迎だ。何が嫌かというととにかくうるさい。手についた水滴を払うのになんでそんなに騒がしい音を立てる必要があるのかと思う。これを愛用する人はそもそも音が気にならないから愛用するのだろうが、「そんなに念入りにするの?」というくらい長い人がいる。それにおそらくこれが使用禁止の原因だろうが、どうも不衛生な感じがする。きっといろいろ衛生上の工夫は凝らされているんだろうが、小さな湿った箱は培養ボックスのように感じられる。この騒動をきっかけに静音設計で、オープンタイプのドライヤーができるといいなあ。