u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

乖離

朝から冷たい雨。
次に何を読むのか決まらないので、とりあえず合間つなぎで古いミステリーを持って出かける。奥付を見ると1992年に第1刷。パーティコンパニオンが主人公のバブリーな小説。
現実離れしすぎていて気晴らしには最適。この間読んだ『バベル九朔/万城目学』とはまったく違った意味で字義通りのフィクションだなぁと思う。
それとは全然関係ない話。
マジックテープが日本で普及したきっかけは、前回(1964)の東京オリンピックだとのこと。オリンピックに合わせて開通した東海道新幹線の座席の枕カバーを着脱するのにマジックテープが採用された。これをきっかけにマジックテープが広く認知されるようになったのだとか。
日常と乖離した小説、日常と乖離したtips。そんな一日でした。

苗字のランキング

買い物ついでに本屋で立ち読み。
日本人の苗字、1位佐藤、2位鈴木、3位高橋とのこと。昔、1位鈴木、2位佐藤と聞いた気がするが、ある時逆転したのだろうか。
鈴木は関東の太平洋側、東海地方に多く、佐藤は東北地方に多い苗字で、サンプルが関東や都市部に偏ると1位が鈴木になるらしい。1960年代あたりまで網羅的な調査がなかったため、全国の教員名簿や電話帳をもとに調べていた。その結果が、1位鈴木、2位佐藤。
永井は135位だとさ。

ナラ16歳

今朝はナラの通院。
週2,3回の通院がもう1年半以上になるが決して慣れることはなく、出かけそうな雰囲気を察知するとすっと気配を消し、押入れの中やベッドの下に隠れて息をひそめる。
でも、「ナラ〜」と呼びかけると必ず「ウア〜」と返事ががえってくるから、どこに隠れたかはすぐにバレる。
猫の16歳は人間でいう80歳くらいだそうだが、ナラは見た目も振る舞いも子猫の時のまんま。
通院しているものの、俊敏な動きにツヤのある毛並み、決しておばあちゃんには見えない。
もう少しゴハンを食べてくれたらなぁ。

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考えごと

あることが引っかかって考えた。
とりあえずこう考えて収めることにした。
「自分だけの何かを探す一方で、自分だけでない誰かを求めるものだ」
自分にしかできないことを求めながら、それを自分以外の誰かと共有したいと願う。
これは、ambivalent、つまり肉親への愛憎のようなものなのかな?
それとも、時間の経過にともなう心の状態の変化と考えた方が実態に近いのかな?
あるいは、視点の置き方の違いと言えるかもしれない。モノを介してヒトを見ると、真っ先に「所有・所属」という発想が立ち上がる。「コレは誰のモノか?コレは俺のモノだ」と。逆に、ヒトを介してモノを見たときに初めて「分かち合う、継承する」という感覚が湧き上がるのかもしれない。

『羊と鋼の森/宮下奈都』読了

駆け出しの調律師を主人公にした清々しい成長物語。
Parental Advisoryの対極、すべての親がオススメしそうな作品。「真善美」が、「偽悪醜」との対比で浮かびあがる相対的な価値ではなく、絶対的なモノとして存在しているかのような世界が描かれている。
イヤミな表現だけど、こういうの好き。
ただ、音楽、特に「音」を題材にした小説は、言葉が過剰になりがちな気がする。途中から、音が良いことの叙述や比喩がウルサく感じられた。たぶんアニメ化したら、もっと良さが伝わるんじゃないかなぁ。

楽器と音楽

妻と娘が読んでいたのを拝借して調律師の出てくる小説を読み始めた。ピアノの音について語られているのを読むと無性に鍵盤に触れたくなる。と言っても、自称「永遠のなんちゃってプレーヤー」、家にあるのは電子ピアノ。ピアノの音の何を知ってるのかというと、いわゆる楽典という観点でも経験という観点でも、ほとんど何も知らないのだが。
ここからは、いつもの勝手理論。
楽器と音楽の関係を考えると、その距離の取り方で、音楽の聴こえ方が全然違ってくるだろうなと思う。
音楽=楽器 or 音楽≠楽器、おそらく正解は後者だけど、はじめから後者を選択するのと、前者を通過したあとに後者を選択するのとでは違う。
楽器を「秩序」と言い換えると、「秩序」を知る前の世界は「無秩序」、「秩序」を知ってからそこを超えるのは「脱秩序」という感じだろうか。そして一番大切なこと、「無秩序」になくて「脱秩序」にあるのが自由だ。
楽器は音楽に秩序を与える。でも、楽器を通過し、それを超えて音楽を捉える時に初めて音楽に自由を感じられるんじゃないか。
、、、という勝手な理屈。
もし厳しいピアノ教師に教わる生徒がこんなこと言ってたら「つべこべ言わずに練習しなさい」のひと言で片付けられるだろうな。

辞めるにしても続けるにしても

娘は今日まで秋休みで明日から後期スタート。秋休みといっても、ほぼ毎日部活に行ってたから、単に授業がないというだけのことだったが。
そういえば自分が部活を辞めたのはちょうど中2のこの頃だった。記憶が曖昧だが、夏には嫌気がさして行ってなかったかもしれない。親友と2人で退部の話をしていた記憶はあるが、どうやって辞めたのかはよく覚えていない。辞めた後のことはあまり考えでいなかったが、とにかく自分の時間が欲しかったのだと思う。
このあと長〜いトンネルに入って息苦しい数年間を過ごすことになるのだが、その時はそんなこと知る由もなかった。
娘も辞めるとか、辞めないとか言っているが、今日は部活用の靴を新調したそうなので、とりあえずは続けるということらしい。
何が良くて何がダメなんてことはない。続けるにしろ辞めるにしろ、結果は意思と偶然のハーモニー。偶然の力を信じる感覚、偶然は自分に味方してくれるはずという感覚が身につくとイイんだけどなぁ。これは経験によるのか、元々の性格によるところが大きいのか?