u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

寒い朝

今朝は真冬並みの寒気だったそうで、さすがにグラノーラに冷たい牛乳を注ぐ気にはなれず、カップ蕎麦に熱湯を注いで熱々の麺を一気にすすった。
今年初めてダウンジャケットを着こんで出発。日の出少し前の東の空がオレンジ色に染まる。空の色は暖色系でもちっとも暖かくはない。
もちろん、気温そのものが低いのだから、暖かくなくてあたりまえだが、たぶん空の色だけでも冷気を感じるんじゃないかと思った。つまり暖色と言っても色味だけで「暖気」を感じるわけではなく、色とそれを捉える目のあいだにある空気が寒暖の感覚を大きく左右するんじゃないかなぁ。
今朝の澄んだ空気はオレンジでも赤でも寒色にしてしまうほど、ピンと張りつめていた。

インフルエンザの予防接種

2年ぶりにインフルエンザの予防接種を受けた。
一昨年、予防接種を受けたにもかかわらず思いっきり感染したこともあり、昨年は何年かぶりに受けなかった。
結局去年は感染しなかったから今年も受けないつもりだったが、近所の検診センターの「2人で受けたら割引き」という特典につられて妻と一緒に受けることにした。
昨日の平山郁夫展に続き、今日も割引きの魔力にまんまと乗せられた感じ。
注射に上手い下手はあるのだろうか、それともたまたま痛点にあたるかどうかに左右されるだけか
打つ前に看護士さんが「今年のは痛いそうなんですよー」と言う。
「痛いかどうかは年によって変わるもんとちゃうやろ。打つ前から予防線張って、この人めっちゃ下手なんと違うか」
と身構えたが、結果はこれまでで一番痛くなかった。
いつも左上腕の、腕をまっすぐ下ろした時に外側にくる箇所に打たれていたように思うが、今日はなぜか腕をまっすぐ下ろすと後ろ(背中側)、むしろ内側(脇側)に近いところに打たれた。
それが良かったのか、それともめちゃくちゃ上手い人だったのか。
妻はいつも通り痛かったと言っていたので、やっぱりたまたまだろう。

平山郁夫展 @横浜そごう

割引券があったからという理由で、横浜そごうに「平山郁夫展」を見に行った。
シルクロードコレクション展」という副題の通り、平山郁夫夫妻が巡ったシルクロードに栄えた国や都市でのスケッチや工芸品がたくさん展示されていた。
セレウコス朝シリア、クシャナ朝、グレコ・バクトリア王国、、、などなどずっと昔に世界史で習った話が、シルクロードとそれを旅する平山氏の視点によって一本の線としてまとめ上げられていて、分かりやすい資料集を見ているような感じ。
奈良の薬師寺に描かれた「大唐西域壁画」は、シルクロードの終点奈良に、画家としてというよりは旅の集大成として遺したものだったのかもなあ、なんてことを思った。

スナバ問題

早朝からいろいろ用事があり、正午過ぎに帰宅。昼食をとったら無性に眠くなり、約90分のシエスタ
その間、横になってあれこれ考えた。

子どもが砂遊びをやめて砂場を卒業するのは、砂遊びを極めて「飽きる」からではなく、うまくできなくて「諦める」からだ。
もし本人の能力、あるいは他人の手助け、あるいは何かの偶然で、砂場で精緻な砂の城なんかを作ってしまったら、子どもは砂場を卒業する機会を失うことになるかもしれない。
それは本人にとって不幸なことか?
いや、それを不幸と思うのは、「酸っぱい葡萄」と嘯いたキツネと同じではないか。もしくは「砂場はいつか卒業するものだ」という固定観念に囚われた残念な発想とも言えるかもしれない。
と、どうでもいいことにしか聞こえないだろうが、本人にとっては極めて具体的で深刻な問題に頭を悩ませる。

考えがうまくまとまらずモヤモヤしたままシエスタ終了。モヤモヤのままはイヤなので、とりあえず「スナバ問題」と名づけて継続審議とし、午後のタスク、娘の習いごとの送迎に家を出た。

『聖なる怠け者の冒険/森見登美彦』読了

祇園祭宵山の長い土曜の一日を舞台にしたお話。ストーリーよりも、ちょっとしたコミカルな語りが楽しい。
『「無用の用もまた用のうち」と妙に力こぶを作っていると、用を崇める一派の軍門にくだる。ここは一つ、臍を曲げて「用もまた無用のうちである」と言うべきだろうか。無用の用もまた用のうちであるとして、その用もまた無用のうちであるとすると、無用の用もまた用にして無用で、、、
わけのわからなくなったところで諸君。
今日は祭りの日だ。』
という一節なんかは、いつかどこかで自分も同じことを思ったり言ったりしたような奇妙なフィット感があって、ガンバらなくても文章がすっと頭に染み込む。
作品としては、この間読んだ『夜行』や『ペンギンハイウェイ』の方が好きかな。

 

口述筆記にしようか

今日読み終えたかった図書館で借りた某小説。残念ながら読み残し。
面白いんだけど、どうも首と肩が痛くて、読書に集中できない。目の疲れも、首肩のコリも間違いなくスマホのせいだろう、と言いながらこうやってスマホでテキスト入力。
口述筆記のアプリを試してみようか。
おそらく口述筆記だと文章にはならないだろうな。構成を考えながらしゃべる、あるいは構成を考えてからしゃべることができれば、テキスト打ちに近いものになるかもしれないが、話し下手の自分にはハードルが高そうだ。
まったく違ったスタイルで、自動筆記的なものを書く(話す)のには向いているかもしれない。シュールレアリスト気分でやってみようかな。

オジギソウ

首が痛くて、本もスマホも見づらい。車内で少し目線を上にすると、某進学校塾の車内広告が目に入った。中学受験の塾で、中学入試の問題を広告として出している。
目にしたのは理科の問題で、オジギソウのおじぎのメカニズムを問うたもの。問題自体は文章の流れで答えるような問い方で、テーマが植物というだけの国語の問題だが、オジギソウのおじぎの仕組みがそんなだとは全然知らず感心した。
葉柄と呼ばれる部位の付け根には、上下に水が蓄えられているらしい。上下の水を合わせた量は常に一定で、下の水が上に移動すると、その分だけ葉柄の下部が萎むのでは全体が下に動く。これがおじぎの動きで、何か外部から刺激を与えると、このように水が移動してオジギするのだそうだ。

きっと自分の身を守るための動きだろうが、「身を守る」という意志を持たない植物がどうやってこういう動きを獲得するんだろう?人間が思うところの意志とは違う、まったく別の意志が働いている、、、とすると神の思し召し的な話になるのか。
もっとメカニカルなものかもしれない。AIの思考は、考えているとも、考えていないとも言えるそうだが、そういったものか。
そうすると、人工知能囲碁ソフトがどんどん強くなっていったのと同じように、オジギソウはおじぎ能力を獲得していったのだろうか。
こんなことを考えているうちに、いつのまにか首が痛かったのも忘れ、うな垂れてオジギソウになっていた。